2012年7月2日月曜日

からっぽの帝国を見てから考えていたこと、と田中への少しの感想


みんなの批評を読んだらもう大体満足しちゃって、あまり残されていない余地を攻めようとしたらずいぶん奇妙な文章になってしまった。読みづらい。もはや何をいいたいのか見失ってしまって、不親切なばかりの文章になってしまった。しかしあまり精密に書く気もない…。ともあれ、もはや批評でも感想でもなくなってしまったけど考えたことを書いてみました。演劇人でない者の横槍に過ぎないかもしれませんが、表現人の端くれとして。


殆どの言いたいことは僕よりうまくゼミのみんなが言語化してくれた。
おおむね私の言いたいこともそこに書かれているから、たぶんそれを読んでくれたら事足りるかもしれない。

@_kanata
セリフの練られてなさなど
http://happytrash08.blog65.fc2.com/blog-entry-131.html
@soe_ren
設定の活かしきれていなさ
http://blue-panorama.tumblr.com/post/25292372617/2012
@donkeys__ears
全体的に、他の芸術にもからめた批評
http://d.hatena.ne.jp/donkeys-ears/20120615/1339723318
@rtanaka0623
からっぽの歴史ロジックのもろさ、セリフが観客の想像力に追いついていないことなど
http://berceuse0509.blogspot.jp/2012/06/2012_18.html
@sugar_thought
演劇の立ち上げ以前の段階について
http://sugarthought.tumblr.com/post/25373882346


「いま、ここ」に歴史を引きつけることの意味を考えていた。いつの間にか思考は場所、つまりこの駒場という場所へ偏っていたのだけど。

さて、どこからゆこう?…劇中で一番印象に残ったセリフをあげてみようか。
「世界を変えるのは認識なんかじゃない、行動なのだ」
あるいは、立て看板にも書いてあったこの言葉。これも神条のだったか。
「世界を変えるのは俺でなければならない」
レジスタンスのリーダー、神条のいったこの言葉は三島由紀夫の『金閣寺』にある言葉をほぼそのままなぞっている(と、気づけたのは三島名言botのおかげだったりする)。
からっぽの帝国が描きだそうとした「歴史」というものは非常に重層的なものなのでしょう。星間植民というSF要素、学生闘争、科学技術、テロリズム、人種問題などなど、多種の設定を並べていた。
一方、舞台は常に古い大学の教室をイメージさせる場所で進行していて、先述の三島のセリフの直接的な引用や、(これは完全な主観ですが…)神条のどこか三島を連想させるような様子はやはり1960年代の学生闘争と三島由紀夫(の思想らしきもの)がこの劇のベースなのだ、と感じていた。(あるいはさらに三島的な要素、あるいはほかの作家の思想などが含まれていたかもしれないが、三島の作品はほとんど読んでいないので拾いきれなかったものもあるかもしれない)。さらに言えば、その他の設定はあくまで後付けにすぎないようになってしまっている、とも。

誰かの作品からことばをそのまま自分の作品へ引用するというのは、それが思想的なものであるとき途轍もなく難しいことなのだと思う。脱構築、あるいは換骨奪胎に失敗すればそれはひどくお寒いものとなってしまって。その言葉の背景を引き受ける覚悟はあったのだろうか。
「世界を変えるのは認識などではない。世界を変えるのは行動なのだ」
僕にはそれは失敗したように思う。
(個人的には、三島由紀夫自体もそんなに思想として強固だとは思えなくて思想コンプレックスにも見えることがあって、それを引っ張ってくるのもどうかとは思うけど、きちんと研究したわけじゃないので深くは追及しない)

このセリフはいったい私たちに何を向けているのだろう。
ここで、1969年の歴史へと立ち返ってみたい。

一つの歴史。1969年、5月13日。東京大学駒場キャンパス、900番講堂。
三島由紀夫と東大全共闘との討論が行われたという、歴史のひとつ。
舞台の2階建て構造の教室という空間、駒場で上演するということ。学生闘争自体は安田講堂が象徴的であるが、この劇においてはやはりこの駒場という場所、三島という人物との呼応を強く感じる。

三島由紀夫vs東大全共闘 1969,5,13 東京大学駒場キャンパス900番講堂:


これが当日の実際の映像。これを見て気づいたことのひとつに「笑い」の存在である。議論の内容は切実なもので、時に罵声もあがることがある。それでも笑いがあがる。これはどういうことなのだろう。
討論後、全共闘にあてた三島の言葉を引く。

討議を終えて 砂漠の住民への論理的弔辞
概して私の全共闘訪問は愉快な経験であった。東大教養学部を訪れるのは、昔、大学卒業後、呉茂一先生のプラトンの講義を盗聴しに行つて以来であるが、裏門から入ればよいと教へられて入つた構内は意外に広く、私は何人かの学生に道を訊きながら会場を目指した。あとで聞いたことであるが、「民青」によって広告のビラが全部はがされてゐたので、会場を指示するいかなる標識も見られなかった。正門の左側の九百番大講堂の前へ行って、初めて私と全共闘とのパネル・ディスカッションを広告する立看板に出会つた。すでに会は三十分前から始まつてをり、そこで学生の前説の演説が行はれてゐる模様であつた。場内は満員で、玄関のところもひどい人混みであつたが、私はどこから入つてよいかわからず入口のところでうろうろしてゐた。
ふと見ると、会場入口にゴリラの漫画に仕立てられた私の肖像が描かれ、「近代ゴリラ」と大きな字が書かれていて、その飼育料が百円以上と謳つてあり、「葉隠入門」その他の私の著書からの引用文が諷刺的につぎはぎしてあつた。私がそれを見て思わず笑つていると、私のうしろをすでに大勢の学生が十重二十重と取り囲んで、自分の漫画を見て笑つてゐる私を見て笑つてゐた。その雰囲気自体から私はすでにこの会合には笑ひが含まれているといふことに気がついた。その笑ひは冷笑であり嘲笑であつてもよいが、少くとも人は笑いながら闘ふことはできない。

この900番講堂の、闘うに適さないと評されるほどの明るさはいったい。
バリケード・解放区・不可能性の空間・調整理念、これらの言葉でそれを考え、そして劇場、駒場小空間へと戻ってみようと思う。

三島との討論にあたって、それを潰そうというゲバルト(学生のセクト間の武力闘争)が起こりうる可能性はあったのらしいが、どうやら潰そうという動きよりも、どの党派の人々も喜んで見に来た、というある種の明るさのある空間だったのらしい。
そこにおいてあるのは虚構におけるバリケードの明るさ。

芥 天皇制というのは虚構としての天皇制であって、党派が憂鬱なのはどうしたって党派というのは天皇制との関係で成立するわけですよ。それにたいしてバリケードっていうのはそれらの関係が全部切れるから、そういった意味では、新しいゼロ記号なのであって、嫌な言葉だけど、事物そのものが持つ真理の光みたいなものが、もういちど照らし出される、関係が焼かれて行く、時間とも空間ともいえないんだけれども。
(三島由紀夫vs東大全共闘1969-2000 より)


900番講堂にあった空間というのは、当時それに関わった全共闘の一人に言わせればそのようなものであったのらしい。明るい解放区。

しかし、それが一時的なものにすぎない空間であるということは認識されており、三島の没後、1999年に行われた『三島由紀夫vs東大全共闘1969-2000』誌上での討論ではその意義を「不可能性の空間の賭け」という言葉で語っている。
虚構性で現実を測り、持続させる難しさは認めつつなにかそこを起点にものを考えるきっかけにならないか。それがバリケードによって作られた解放区に託される機能なのだ、と。

さて、ここで私は演劇へと立ち戻ってみる。持続不可能性というはかなさを抱えながら、その異常なる突出した空間が日常を照らし、我々の日常へ問いを投げかけるというのは、あるいは演劇のもつ機能ともいえないだろうか。

駒場で43年前に実際に起こっていた、空間を占有していた歴史。
それを再び演劇と言う形で物語に立ち上げなおすということ。
その意味はなんだろう。

駒場小空間を占有し、観客を劇場の空間に、時間に閉じ込め―時間の、空間の、バリケードと言ってもいい―、演劇を行うことの意味。

劇場空間という解放区が照らすものはなんだろう。

それは紛れもなく観客の日常であり、変容を促されるのは観客の「認識」ではないのか。
…ここで認識論に踏み込むつもりはない。しかし、そのまるまる引用した言葉を、演劇という装置のなかで使うことにどこか白々しいものを感じていたことは確かだ。
からっぽの帝国は果たして「解放区」となっていただろうか。残念ながら否だと私は思う。笑いのなかにあって解放区が成立するならば、客席が解放区としての劇場の一部となるために笑いが必要ならば、それは失敗している。
つまり、そういうかたちで歴史を引き受けたのではないということだ。
私は潜ってみる歴史をまちがえたのだろうか。1969年の900番講堂へ三島と学生闘争とこの駒場キャンパスの結節点へ向かうことは誤りだっただろうか。もしそうだったとしても、現実に対置される解放区という理念を掬い出せたのはひとつの収穫だろうと思う。

現実に対置されえないことすらも「からっぽ」という言葉に含まれているのか。その空疎さは狙って作られていたのかもしれないけれど。世界の変わらなさのメタ構造。だからといって観客の認識が変容しえない(少なくとも、劇の後半、舞台が酷く遠くに感じられた私にとっては、変容しえなかった)というのは、すこしばかり残念なことだと思うし、それを皮肉としてやるなら、この劇はあまりに長すぎる苦行ととらえざるを得なくなってしまう。
そんなまどろっこしい皮肉とは解釈したくない。観客に来たことを後悔させない(楽しませる、とは限らなくたっていい)ことは彼らの目指すものの一つであるはずだと思いたいから。ただ少し足りなかっただけなのだ、と。

ついでのように書くのは申し訳ないけど、もうちゃんと感想や批評を書けるほどの記憶も熱もないからもうひとつの劇についても言及しておく。
この解放区としての演劇をよりうまく実現したのは、からっぽの帝国の一週間前に上演された劇団綺畸の『あの日踊りだした田中』ではなかっただろうか。
詳しい批評はまた@donkeys__earsの書いたもの(http://d.hatena.ne.jp/donkeys-ears/20120610)を見てもらえればいいとして、駒場三劇団のなかでは福島第一原発の事故以降初めてそれを直接意識させる形で、それもある程度納得できるクオリティーで、笑いとともに観客が劇のなかへ内在できるかたちで作られた劇だったように思う。
とても扱いづらいまさに今の我々を照らすテーマであることから、脚本作りには苦心したのではないかと思う。公演前配布のパンフレットで演劇は闘争だ、とかいうように書いていたのにはにやりとさせられたように思う。

2012年6月22日金曜日

都合のいい説明について思ったこと

最近、学問における定義とかそういうのについていくつか考える機会があったからそれについてまとめておいてみる。
たぶん、これを考える下敷きに@_kanataくんの辞書を生きる;単語の定義についてという記事が頭にあったかもしれない。

(1)数学:素因数分解の一意性
ぼくがまだ高校生だったころの話。
駅前のFORUSの七階にジュンク堂という大きな書店があった。エスカレーターで上ってくると右手のほうには理系の書籍が並ぶ棚があって、文系ながら理系に憧れをもっていた僕はそこの本をたまに手に取って眺めていた。
そこで出会った本の一つが『数学ガール』。
そのなかに素因数分解の一意性の話がある。
「素因数分解の一意性を守るために?そんな勝手な定義でいいんです?」 「いいんだよ。勝手というと言い過ぎだけれどね...。数学者は、数学の世界を組み立てるために有用な数学的概念を見つけ出す。そして、それに名前をつける。それが定義だよ。」(『数学ガール』p18)
1をなぜ素数にふくめないのか?
それは1を素数に含めてしまうと、たとえば12を素因数分解したときに
12=3*2*2
12=3*2*2*1
12=3*2*2*1*1
……
というようにいくつもの分解の形ができてしまってやっかいなことになるから、[素因数分解の一意性を守るため]に1を素数には含めない、と定義してるんだよってはなし。ごちゃごちゃいっぱい出てくるよりひとつに定まったほうが数学的に有用なんですね。
これを読んだのはもうずいぶん前で、でもつい最近思い出したのは彼方くん(@_kanata)がそれについてつぶやいていたからでした。手元に数学ガールがないので引用部分も彼のツイートからの孫引き。
さて、次のはなし。


(2)歴史:物語論と間主観性
一体どうしてこのページにたどり着いたのかわからないけど、Wikipediaの歴史哲学のページを読んでたらこんな記述に出会いました。
20世紀になって、哲学が客観性の虚構性を明らかにしてからは、歴史は、現在の人間が後から過去の出来事を物語ることのなかに存在するのであって、物語から離れた中立・客観的な歴史というものは存在しないという「物語論」(narratology)が主張されるようになった。
しかしながら、そのような考えを誤って徹底させていくと、最終的には現在の個人個人が勝手に自分の歴史「物語」を紡いでしまい、コミュニケーションが成り立たない状態に陥ってしまう。また合理的に考えると実際に起きた出来事まで「所詮は主観だから」と勝手に修正してしまえば、歴史修正主義に陥ってしまう。
そのため、現在の歴史学では、限定的な客観性(間主観性)が保たれるものとして研究を進めることが一般的である。その客観性とは合理性に基づくものである。例えば徳川家康が存在したと我々が決めることができるのは、様々な文献や遺物・遺跡から、家康という人物が存在したと仮定するほうが、しないよりも合理的にこれらの証拠を辻褄つけられるからである。
間主観性を仮定するほうが、しないよりも合理的、というのは先ほどの素因数分解の一意性の例とも共通するものがありますね。
Web上の辞書で調べると間主観性は、
 【相互主観性】
〔(ドイツ) Intersubjektivität〕自我だけでなく他我をも前提にして成り立つ共同化された主観性。フッサールなど現象学派を中心に研究され、知識や科学・文化などは、これを根底に成立する。間主観性。共同主観性。
とされています。歴史学だけの話じゃないわけですね。
現象学はまだよくわからないので深入りはしません…。
さて、三つ目。

(3)神経科学:意識のハードプロブレムの棚上げ
6月15日(金)一橋大学で行われた、大阪大学のグローバルCOEプログラム「認知脳理解に基づく未来工学創成」主催のワークショップ「美は分析できるか?――神経美学のこれまでとこれから」
に行ってきたのですが、その前に予習をかねて今授業を受けている認知脳科学の教科書『イラストレクチャー認知神経科学―心理学と脳科学が解くこころの仕組み―』を読み返したんです。すると前書きに
「こころと脳が本当はどんな関係なのか」わかってないから「このだれにも解けない問題を当座棚上げにして、『こころとは脳活動(を源とする主観的体験)である』という作業仮説にのっとり」
とありました(一部中略)。こころと脳の関係はとか心脳問題、意識のハードプロブレムとかいわれる
んですが、ハードプロブレムというだけあってむちゃくちゃやっかいな問題なんですよね。で、ワークショップでも哲学屋さんが神経科学者さんにそのことについて突っ込みを入れてましたが(一体脳の働きと「一人称の、つまり<私>の美しさ」はどう関係しているんだ、というように)、いまのところは棚上げにするしかなくて、そこで立ち止まるよりも仮説をたててひとまず進んでみるほうが有益なのだろうな、と。


(哲学以外の)学問というのは素朴な、たとえば科学者が自分の持ってるfMRIという技術をつかって美について調べられるかもしれない、と思うようなところから始まっていて、「それを言っちゃお仕舞いよ!」を避けるため(このことばを突き詰めるのはここではめんどいからやらないけど)合理性とか有用性とかで一応の合意を作って進んで行く、のかもしれない。
哲学的反省というのはいつもななめ後ろらへんからやってくるのかもね。

2012年5月28日月曜日

【短歌】あざらしと夜明け


ついったに連投し過ぎたので、こちらで公開し直し。朝TL遡って見たらわたしのツイートで埋め尽くされてるとかあれですもの。元のツイートは削除しました。

嘘つきと名づけられれば嘘つきとノートに四度書き付けました #tanka
posted at 02:58:54
多摩川にアザラシ1匹おりましてさみしかったねさみしかったよ #tanka
posted at 03:03:32
(アザラシをバットで殴る)生き物は食べたり食べられちゃったりします #tanka
posted at 03:06:43
眼球の裏側の夜の河となり冷たく流れだしてゆきます #tanka
posted at 03:11:02
ごまちゃんは何処へいったのきみたちもテトラポットもいろをなくして #tanka
posted at 03:14:46
美しいせかい美しいかぶとむし夏はむかしに閉じこめられて #tanka
posted at 03:18:06
ごまちゃんの骨はヘドロのなかにいてその白いろは知らないでいる #tanka
posted at 03:20:06
ごまちゃんどこいったんだっけ?
posted at 03:20:41
ごまちゃんは何処へ行ったか知らないが死んだと決めて冥福祈る #tanka
posted at 03:23:45
即詠だから、と言い訳できるけど、ほんとうにそのときその場で言葉を作り出してるわけじゃないと思う。
posted at 03:27:48
GGGゆるふわがーるの恋愛も街に溢れたむしけらみたい #tanka
posted at 05:26:23
プラトンを光線銃で撃ち抜いた白痴は世界のかたちを知らず #tanka
posted at 05:32:54
足し算をするたびみんな狂ってく 蛍光灯の下に電卓 #tanka
posted at 05:35:51
マウスピース無きあとの世に生まれ出ず金管楽器の音色はかなし #tanka
posted at 05:38:33
ポケットのPASMOは消えて僕たちはもはや行き先を知らない #tanka
posted at 05:40:00
ペルソナを剥がしてしかる後に今日生きていますとつぶやきなさい #tanka
posted at 05:42:23
(うーん、微妙?)(連投ごめんなさい)
posted at 05:43:14
ここにあるものたちみんな全てです海にはとりにいかなくていい #tanka
posted at 05:45:24
悲しみの断頭台だ美しくないもの全て肉塊となれ #tanka
posted at 05:51:48
未発表作品とかためたほうがいいのかな、と思ったけど、出したい賞もあるでなし賞に出す実力もなしよねえ。
posted at 05:56:22
というかついったにのせるのもちゃんと推敲したほうがいい?←作ったら考えなしにのせてる
posted at 06:13:07

2012年5月23日水曜日

からだと境界と宇宙


昨日は身体(人体)と宇宙(世界)とフラクタルの 雑な話をした。
忘れないうちに雑にまとめとく。しかし頭がおかしいね。中心は「境界」のはなしだから、周辺部分は雑。少しずつふえたり削ったりする。
いまのとこd以降はあやしい。


a身体と宇宙はマイクロコスモスとマクロコスモスと言われるように、フラクタル図形とも言える類似がある。それを比喩でないものとして捉え、身体と宇宙の作りに連続を、つまり、世界を[内-境界-外]の連続体と見なす。

bからだは皮膚一枚めくるとグロテスクである。皮膚の外から見ればそうではないのに。しかしさらにマイクロに拡大すればそこに再び秩序だったものがあらわれる。あるいは富士山は遠くからみれば優美な曲線を描いているのに対し登山道に身を置いてみるとごつごつした岩や、捨てられたゴミが視界に映るだろう。

cわたしが「それ」を美しいとみるとき、わたしは「それ」の外にある。それのグロテスクをみる、あるいは「不気味なもの」をみるとき、わたしとそれの境界は消失し、わたしはそれに内在している。

dQ:境界を揺るがすものとしては芸術が最たるものかしら。

eこの世界を美しいと呼べるのはこの世界のそとにあるときだろう。グロテスクをみるとき、わたしは世界の内にある。たとえば、「夜と霧」。たとえば、ポル・ポトに殺されたしゃれこうべの山。たとえば、草間彌生のオブセッション的な水玉。

eQ:しかし、身体は本当にグロテスクなのだろうか。ぬるぬるとして赤くぶよぶよの身体は実は美しいのではないか。

fQ:外の外の外の…、のさきにはわたしがあるのかしら。

gQ:グロテスク[不気味なもの]と、美しいものの定義が問題だね。だからeQが出てきてしまう。

h:うーん。一皮むくとグロテスクなものが芸術なのだよ。「それ自身が一皮むけるorそれが世界の皮をむく」力のあるものが、芸術なだよ、ということになってしまう。芸術とはグロテスクと、グロテスクとは芸術の混同。


2012年3月31日土曜日

【短歌小考】短歌多極主義・コミュニケーション文芸

2012年3月29日のツイートより。


@某女性 ある程度歌詠みとして量を作っていくなら技術や学びが必要だと思う…。でも感情の文学というのは同意で、どんな人にだって生涯で一つはすごい歌を作れるんじゃないかなって。
posted at 01:51:52

私にとって写真や短歌の技術を上げる、というのは「歩留まりを上げる」「失敗率を下げる」ということで、それで決して成功率が上がるわけじゃない。傑作を詠む・撮るためのことはまだ私には言語化できない。したくないのかもしれない。
posted at 01:59:20

でも、楽しめなくなったらお仕舞いですから。あまり考え込まないほうがいいですよ。
posted at 02:01:15

別に各句の間全部にスペース入れてても、「それは短歌じゃない」と私の評価基準がそう評価しても、かんたん短歌でも口語でも文語でも、ただそれを作ることがあなたの(潜在的でも、顕在的でも)目的にかなっていればいいと思う。 #深夜短歌部
posted at 02:11:58

評価されるかどうかなんて関係ない。評価されたいならそれなりの戦略をたてることだし、友達に読んでいいなって思ってもらいたいならかれらに寄り添う言葉で書けばいい。つまらないのは消えてゆくだろうけど、それでいいじゃないですか。その時のあなたには確かに詠むことに意味があった #深夜短歌部
posted at 02:14:18

短歌史を意識し、歌壇を意識するそれ。コミュニケーション文芸の在り方としてのそれ…在り方はいろいろあるし、一人の人間のなかにも複数の在り方がふくまれていると思う。どの在り方も否定したくないし、することは間違っている…と今のところ思う。 #深夜短歌部
posted at 02:19:02

短歌は安いことばで腐る程度のものではないし、お高くまとまった壇に閉じこもってほしいとも思わない。みんな勝手にすればいい、と言ってるように聞こえるかもしれないけどそうじゃなくて、それぞれの場は尊重すべきだし、それぞれの場・その間の交流が閉じるべきではとも思うのです。 #深夜短歌部
posted at 02:21:17

何にもいってないみたい。くそだね。具体的なことも全然いえてないし、机上の空論だ。
posted at 02:22:15

短歌と、コミュニケーションとしての短歌は確実に別のものだよね…と感じていて、その二つはまったく背景が違うから批判してもまったく意味がないんじゃないかとも思える。批評者ある場と批評者なき場の違いなのかな。 #深夜短歌部
posted at 02:25:30

語りお仕舞い。相対主義じゃなく多極主義です。よろしく。「作りたいものつくれよばーか。」なんだけど、作りたいもの作るって評価されたいから評価者を意識して作るとかも含まれてるから、よろしく。
posted at 02:29:01

@とある女性 この語り自体もぐるぐるしてるんだけど、たぶん答えなんてないし答えなんて決めちゃいけないからそうなるんだと思う。初心者の言うことだからあまり真に受けないでねっ!←
posted at 02:32:00

(いままでの主張を総合すると、うたつかいはひとつの理想形だよねってことかもしれません。うたらばについては選がきびしいけど、短歌を知らない人に高クオリティで、写真とともに見やすい形で示せるからすてき)(ほかは、よく知らないのでホーコメントで)
posted at 02:53:07

多極主義だ、と言っておきながら結局そのどれかの極に属してるので、理想主義的現実主義といえるかもしれない。
posted at 04:58:52

いや、分析者と実作者としてのわたしが分離してるだけか。
posted at 05:01:17

ツイート以上。


以下補足。

企画をすることの意義について。
Twitter上での短歌というのは質を高め合ったり切磋琢磨し合うというよりコミュニケーションとしての一面が強いと思っています。悪く言えば批評なき馴れ合いの場ですが、楽しんで交流する手段がたまたま短歌なだけ、彼らが楽しめているならいい、と私は多極主義の立場から思うのです。(私の価値判断基準に照らして)上手い人も参加し、下手な人も参加して、なにかゆるやかな一体感のようなものを生めるというのはすばらしいことだと思うのです。だから、企画には絶対に価値があると言いたい。 ※もちろん、切磋琢磨するための歌会等の企画もあります。

短歌の世界を俯瞰する私と実際に短歌を作り評価する私はまったく別のものです。
私にとっていいと思える短歌、悪いと思える短歌は確実にあって、前者は上手く規定できないのだけど後者は、たとえば短詩として洗練されてなかったり、各句ごとにスペースが空けられるといった基本的な知識の欠如にいらいらしたり、ただ自分の言いたいことばかりが前面にでて短歌にしようという姿勢が感じられない…といったことです。

2012年3月28日水曜日


夕方になって雨が降るだなんて思いもしないような、そんなお天気だった今日の昼。梅が咲いている公園があって、紅と白がとってもきれいでした。桜はにじむような美しさで、梅は匂いたつような美しさだと思う。

私の故郷には臥龍梅という、龍が横たわる姿にたとえられる奇妙にねじれた格好の梅があり梅園になっていて、春になると梅まつりなるものが開かれていた。

小学校のとき…秋の終わりか冬だか忘れてしまったけど、図工で版画を作る授業があって私は臥龍梅を描こうとしていた。
花も葉もない季節に見たままを描いたから当然枯れ木としての姿で、でもそれは我ながら上手く描けていたように思う。
でも、先生は私に花を描くように勧めた。先生がなぜそう言ったのか覚えてないし、何も理由なんてなかったのかもしれない。でも私は先生に対してはあまりに素直な子だったから、先生に従って花を描き足した。でも、それは幹枝―私は横に寝た木の全景を描いていた―と全く大きさの合わなかった。花びらひとつひとつまで大きくなりすぎて、数はあまりに少な過ぎた。
そのとき、私は一抹の悲しみを覚えていたのかもしれない。なんだかどうしようもないまま彫って、刷って、でもやはりだめだったんだと思う。枯れ木は枯れ木のままであるべきだったんだと。見たものそのままを捉えるべきだったんだと。白と黒の世界で、少なくともそのときは花を表すことなんてできなかったんだと。

今日の梅を見ながらそんなことを思い出していた。

そして、ふとこの前撮った写真を思い出して。全く違う木であってもその臥龍梅の冬枯れに、そしてかつて私が表したかった絵に似ている気がして、ああ、もういいんだと思った。何がもういいのかもわからないまま。

そんな梅のはなし。


2012年3月13日火曜日

#7days100tanka 3/6,12:00-3/13,12:00

3/6,12:00-3/13,12:00の#7days100tanka、作った歌のまとめ。
全部読むのめんどくさいでしょうからふぁぼ、RTしていただけたのを他選とみなして最初に並べてみます。大体自選と一致するような気もします。
以下のように何となく凡例分けもしてみましたが票数少ないのであまり参考にはならないかも。

*…歌詠みじゃない男性
*…歌詠みじゃない女性
*…歌詠みの男性
*…歌詠みの女性


性別や歌詠む方かどうかわからない場合は推定ですので間違ってたらごめんなさい。
一人が一首にふぁぼ、RTともにしてくださった場合は二票でなく一票とみなします。「義理ふぁぼ」らしきものは無効とします。


【86】先輩の唇を強く噛むならば血の味がして深くつながる
*
【81】玉砂利は一トン七千円らしくアマゾンからあいつに送ったよ
*
【79】窓をあけ風を入れれば心地よし(社会の窓の開いている君)
**
【73】終わる朝と昼のはしっこのあたりならあなたはまだ生きていましたか
*
【71】鯖持ちてきさまの顔を叩きたしびちんびちんびちんびちんびちん
*
【70】服のはし握ったままの君がいて寝息を聞いてるような幸せ
***
【69】秘めごとは秘めてこそあつきものにて夜の浜辺で探すヤシガニ
*
【68'】電車に乗り西に行きたいと思う日の教室の窓の透きとおりかた
*
【66】目隠しをしたまま指切りしたならば誰のものでもよかった小指
*
【54】脳味噌が漏れだしている交差点熟し過ぎてたみたいね、トマト
* 
【51】忘れ香を思いだしたら春の日のあなたにあいにそっと歩こう
***
【48】水底よ穏やかであれ私のかすかな弔いなども沈めて
*
【45】観覧車は夜まで乗ってはいけません(横浜デートの約束として)
*
【26】大陸の夢をみました今日もまだ海にたゆたう海月のままで
****
※26、海の重複が気になりますね。海にたゆたう⇒たゆたっている、青にたゆたう、とか?クラゲ、くらげ、水母…どれも違う気がします。
【24】悲しみのひとつの表現形として大切なまま泣かないでおけ
*
【23】ネコ2匹ネコ4匹ネコネコ8匹ネコネココネコたくさんのネコ 
**
【22】瑠璃瓶の光溢した明後日の空の色まで生きて待ちます
*
【20】地震かと思えばわたしの揺れでしたノイズとか心臓の音とか
**
※20は地震直後のツイートなので文脈依存RTだと思われます。
【5】人間になれないでいるわたくしを連れ去るような花瓶のミモザ
*
【4】詠みて投げまた詠みて投ぐ吾の前に三度妻子を捨つ岡井あり
*


以下全100首乗っけます。番号間違い等も原文ママ、といういらない臨場感。
TwilogよりHTMLソース取得して直貼りとハッシュタグ除去。少し状況説明なども加えつつ。歌だけのせいやっ、と言う方もおられるでしょうが…わたしにとってはこの形のほうが面白いのです。

2012年03月06日(火)
*始まりは、私の尊敬する歌詠みさまのこんなゆるっとした募集でした。
RT @LAB1027: #7days100tanka 1週間で100首。本日3月6日正午~3月13日正午まで。達成しなくてもかまわない。軽く詠んでみませんか?
posted at 10:46:18
RT @Ikuhauta: 【改めて緩募】歌詠みさん三名とTwitterにて一週間百首を各々目標に詠みます。参加したい方は是非。一日約十五首くらいで大丈夫。達成出来なくても言葉遊びくらいの軽い気持ちで(逃げ道w)今日の正午開始で、歌に数字振ってTwitterにアップ。 タグは #7days100tanka
posted at 10:48:09
*のるかそるか。しばらく考えて乗ってみることに。どんどん参加者は増えていきました。
【1】言の葉の未だなきモノクロムの日言の葉のなきままに意味問へ
posted at 12:36:41
【2】一人きりだから名前は失くしてて彼を探した新宿の夜
posted at 12:54:00
【3】あんなにも愛した日々だこんなにも晴れた空に新宿の豪雨だ
posted at 12:58:58
*東京事変を聴きながら、と言わないとわからないですね。失敗。3/4の六大学写真展打ち上げ、二次会オール明けの新宿の雨は冷たかった。
【4】詠みて投げまた詠みて投ぐ吾の前に三度妻子を捨つ岡井あり
posted at 13:23:00
*別に岡井隆にはなんの恨みもないですし彼の歌もそんなに詠んでないです。本郷短歌会歌会に詠草として出したのですが歌会自体には参加できなかったのでどういう評がついたかは知れず。
【5】人間になれないでいるわたくしを連れ去るような花瓶のミモザ
posted at 14:03:33
*一日目はこれにて了。24時間で15首ほど詠まねばいけないのでスタートダッシュはできてない、ということになります。
2012年03月07日(水)

【6】スクランブルエッグのふわふわありましてビタミン剤のきいろも飲んだ
posted at 03:20:18
【7】ブラジャーの外し方を学ばぬまま水素結合の切断を知る
posted at 03:32:14
【8】ブラジャーのつけ方彼が知るときに外しかたを教わっているぼく
posted at 03:46:37
【9】作者死んだバルトも死んだ私死んだ言葉も死んだあなたも死んで
posted at 03:51:13
【10】氷枕取りかえているぼくはもうあなたの涙に溶けてゆきたい
posted at 16:04:21
【11】虫にとって大気が粘っこいように餅から見ればくらやみの口
posted at 16:46:53
【12】赤い青い黄色い星座の雨である今すぐ死ぬか生きるかしたい
posted at 16:50:54
*投稿時間から昼夜逆転っぷりが読み取れてアレですね、アレ。19:00から駒場で劇工舎プリズムの新人公演『ユニコーン恋愛方法論』を観て芸ゼミメンバーの感想を駒下のカレー店で聞いてました。そのため夜の投稿はなし。いい劇でした。また感想まとめて書くことになるとおもいます。
2012年03月08日(木)
*この日からクラスの合宿下見へ。夜更かししたけどちゃんと起きました。
【13】前姿ならつくろえはするけれど後ろ姿のだらしない人
posted at 03:15:39
【14】世界の終わりを刻んでくようにして生肉を食べやすく切ります
posted at 03:17:59
【15】わたくしと世界がひとつだったとき太陽の色と夜の温度と
posted at 03:20:51
【16】人生の前置きのままでいるような君の目の透明さをはかる
posted at 03:24:20
【17】甘栗をむいてしまった甘栗をむいちゃいましたどうすればいい?
posted at 03:25:48
【18】わたくしがむかし歌った喜びの今日も大気に残る痕跡
posted at 03:28:00
【19】その髪は金色になる秋があり憧ればかりつのらせている
posted at 03:53:34
【20】地震かと思えばわたしの揺れでしたノイズとか心臓の音とか
posted at 03:57:27

2012年03月09日(金)
*山梨の合宿所の布団の中で詠みました。
【21】ならばもう落ちてしまって構わない葉脈に光集まれば、秋
posted at 06:30:00
【22】瑠璃瓶の光溢した明後日の空の色まで生きて待ちます
posted at 06:34:05
【23】ネコ2匹ネコ4匹ネコネコ8匹ネコネココネコたくさんのネコ
http://twitpic.com/8tprei
posted at 06:37:03

*合宿所に大量にねこがいてネコ団子になってました。
【24】悲しみのひとつの表現形として大切なまま泣かないでおけ
posted at 06:40:14
【25】煮物色染み出している弁当の遣る瀬なさとか、遣る瀬なさとか。
posted at 06:46:54
【26】大陸の夢をみました今日もまだ海にたゆたう海月のままで
posted at 06:59:33
【27】にじんでく水彩の描く足跡であなたの記憶 花の雨降れ
posted at 07:04:44
【28】天井の模様数えた記憶とか宇宙に溶けてしまうよな空の
posted at 07:07:40
【29】魚棲まず蒸留水の澄み色の屈折はなし独りあるべし
posted at 07:13:25
*山梨⇒東京。帰りのバスの中。
【30】香りだけ僅か残して身を投げた河に永久へと生きゆく娘
posted at 14:14:45

2012年03月10日(土)
*雨音をhttp://www.rainymood.com/でずっと流しながら過ごした日。
【31】雨音に溶けゆく少女の指先のピアノの黒鍵触れないでいる
posted at 09:27:30
【32】雨音に抱かれている寂しさの色に任せて微睡めば夜
posted at 19:01:37
【33】泣き疲れ眠れるための涙腺が空っぽだから雨が降るのね
posted at 19:10:05
【34】照らしつく円月ありてつま先に光宿ればわたくしの夜
posted at 19:16:45
【35】指先をつつむがさつな愛として軍手忘れたあなたに貸した
posted at 19:19:44
【36】誰かの悪意かもしれない世界として立ち現れる勿れ夕闇
posted at 19:22:31
【37】関わらぬことが私のためらしく花の夢にて手折ったのです
posted at 19:25:47
【38】もうひとつ踏み出せば恋になるらしく君からもれる空気を吸って
posted at 19:29:09
【39】デイドリームビリーバー、ねえ君はいつも一人っきりで歌っているの
posted at 19:34:03
【41】あさぼらけさげぽよJKリストカットスーサイドさもなくばオナニー
posted at 19:37:41
【40】JDのmixi離れが進んでもJKがいて回ってくとか
posted at 19:41:37
【42】空気認識には対応してませんアップデートされないままの恋
posted at 19:43:49
【42】見栄はって生きてるような私のとなりで等身大の1日
posted at 19:53:03
【44】甘噛みをしよう指とか耳だとか首筋だとかはむはむしよう
posted at 19:57:32
【45】観覧車は夜まで乗ってはいけません(横浜デートの約束として)
posted at 20:16:22
【46】気配すら消去されえぬものとして風にどれだけ声を聴けるか
posted at 22:58:33
【47】生まれ変わりたかったみんなのために私は死のう 母たれよ海
posted at 23:01:40
【48】水底よ穏やかであれ私のかすかな弔いなども沈めて
posted at 23:06:00
【49】醒めてゆく夢の縁へと手をかけて口づけの温度確かめたなら
posted at 23:07:59
【50】牡蠣スモーク1タイカレー3お芝居のあとの駒下の危機
posted at 23:09:29
【52】後ろ姿にぶら下がった悲しみを引き剥がすものとしての君
posted at 23:21:06
【51】忘れ香を思いだしたら春の日のあなたにあいにそっと歩こう
posted at 23:23:37
【53】ゆえにもはや意味を為す必要はなく、目を閉じて口づけを数分。
posted at 23:27:28
【54】脳味噌が漏れだしている交差点熟し過ぎてたみたいね、トマト
posted at 23:46:32

2012年03月11日(日) 
*この日は低調。とある女性が酒とともに醜く夜を明かすと言ってたのでそれにならって夜明け前にお酒飲んでた。
【55】もう二度と歌うことなき竪琴のオルフェウス流れゆく海まで
posted at 03:24:18
【56】いつの日か同じ夕陽を君のとなりで違うように見たいと思ってる
posted at 03:46:54

2012年03月12日(月)

【57】菜の花は想定外の春としてすました色の季節を穿つ
http://twitpic.com/8v7de8
posted at 11:58:50

*三鷹には春のにおいがありました。
【58】ひとりぼっちの星空わたしと蛇はよりそうんだよ輪廻のわっか
posted at 12:56:47
【59】もう帰ることない川のほとりまで歩んでく筋肉の連関
posted at 13:01:01
【60】追い付いちゃいけない赤を抱えてる空を走った満月の夜に
posted at 13:07:21
【61】「今、うんこしよん」といったメールでも何もないよりましなんじゃない?
posted at 13:12:29
【62】那覇になく東京になく北京にもニューデリーにもないというそれ
posted at 21:13:43
【63】ソクラテス殺された日のプラトンの気持ちだとかをあなたに向ける
posted at 21:15:49
【64】無痛なる手術を終えるお医者さまの服は真っ赤に染まってました
posted at 21:19:21
【65】着陸の上手い下手などおいといてどうにか生きているのならいい
posted at 21:22:43
【66】目隠しをしたまま指切りしたならば誰のものでもよかった小指
posted at 21:29:25
【67】観測をす迄判らぬものならばプリンの味よりパンツをば見む
posted at 21:32:42
【68】電車乗り西に生きたいと思う日の教室の窓の透明なこと
posted at 21:43:45
【68'】電車に乗り西に行きたいと思う日の教室の窓の透きとおりかた
posted at 21:50:27
【69】秘めごとは秘めてこそあつきものにて夜の浜辺で探すヤシガニ
posted at 23:23:09
【70】服のはし握ったままの君がいて寝息を聞いてるような幸せ
posted at 23:38:41

2012年03月13日(火) 
*71はびちんびちんしたかったんだと思う。京短らへんのやぶうちさんにふぁぼられてたからやぶうちさんもびちんびちんしたかったんだと思う。
【71】鯖持ちてきさまの顔を叩きたしびちんびちんびちんびちんびちん
*似た歌を見かけたことある気もする。
posted at 00:21:18
【72】谷にありてメトロはビルの三階でうごめきは人と云うものらしい
posted at 00:44:50
*起きたら9:00過ぎでもうだめぽ、と思ったら案外間に合ってしまったという展開でした。クオリティは微妙かもですが。
【73】終わる朝と昼のはしっこのあたりならあなたはまだ生きていましたか
posted at 09:15:23
【74】空までもかがやく日なのだかたつむり干からびたあとの軌跡であれよ
posted at 09:18:58
【75】咲かなかった花を確かに愛すため雨よさんさんと降り続くのだ
posted at 09:22:34
【76】私の性を呪うがごとくあり母のようにはなりたくなかった
posted at 09:25:21
【77】眉の間のうぶ毛引き抜いてやりたいとわたしに顔を近づける君
posted at 09:27:43
【78】肉よりも魚が好きだった少年はいつの間にか肉好きになってた
posted at 09:30:41
【79】窓をあけ風を入れれば心地よし(社会の窓の開いている君)
posted at 09:33:39
【80】(開いてるね)おはよ、坂本。(言うべきか?)宿題やった?(社会の窓が)
posted at 09:36:16
【81】玉砂利は一トン七千円らしくアマゾンからあいつに送ったよ
posted at 09:40:21
【82】砂漠行く人の影をば見し夏の輝くようにポカリスエット
posted at 09:43:39
【83】僕ら空に浮かんでいたね僕らもう海の色思い出せないんだね
posted at 09:46:40
【84】ただ広い枯れ野原があるとするならばわたしは台場がそれにみえます
posted at 10:23:00
【84'】ただ広い枯野のひとつのありかたにお台場などを数えてみたり
posted at 10:24:52
【85】秘めたるは美しきこと 妬みなどあなたは見なくたっていいんだよ
posted at 10:34:13
【86】中綴じは四の倍数つなぐなら5+5の指足せば1でいい
posted at 10:47:52
【86】先輩の唇を強く噛むならば血の味がして深くつながる
posted at 10:51:01
【88】生きるって泡みたいだって洗剤も海も宇宙も泡みたいだよ
posted at 10:53:33
【89】洗剤と存在の類似性だとか原罪と存在のありかた
posted at 10:56:20
【90】キスマークが傷害罪になるなんて知らないまま互いに刻みゆく
posted at 10:59:57
【91】火葬場の煙はきっと儚くて白い君の手握った弱さ
posted at 11:02:42
【92】五百羅漢ドーハにありて八百万(やおろず)の国は手綱の見えぬままたり
posted at 11:04:52
【93】君が辞書になったのならばその夜に「あ」から丁寧に書き写すのに
QT @mmmmao88: 【94】言語化の難しいことああいっそ辞書になりたいと思わされる
posted at 11:08:02
*93は返歌してみたわけです。
【94】ご覧のスポンサーでお送りしました終幕の日の白と黒色
posted at 11:17:19
【95】白黒の幕は似合わぬひとだから海に溶かして穏やかな春
posted at 11:23:37
*91,94,95がお葬式系なのは昨日見た劇団ふつつかもの第二回公演『死してなお』のせいだと思う。これも感想まとめなきゃ。
【96】放送は死してびっしりカラーバー宇宙の果てへさ迷ったまま
*しゅーじりすぺくと
*寺山修司の 肉体は死してびっしり書庫に夏 をふと思い出して詠みました。出来はよろしくないかもしれない。
posted at 11:26:09
【97】ユニコーンに触れる勿れの言い伝え触れてしまつた触れてしまつた
posted at 11:29:01
【98】こいしてるアイラブユー好きあいしてる<記号溢れる街の断章>
posted at 11:38:05
【99】時たまにおねーちゃんと呼びたいような先輩の横顔に夕陽を
posted at 11:45:02
【100】駆け出すのなら今がいいこの国のトラックはみーんな左曲がり
posted at 11:59:05
【100'】駆け出すのなら今がいいこの国のトラックはみな左に回わる!
posted at 12:00:36
*100はもう少しいい歌出したかったね。
100で滑り気味だけど、まあいいさ。ゴールしましたよ。みなさまお疲れ様でした。 #7days100tanka
posted at 12:02:22
【101】もし君がいいというならふぁぼ魔にもとぅぎゃ魔にだってなってみせるよ #7days100tanka というわけで、みなさまのふぁぼったりわたしのとぅぎゃったりします。
posted at 12:08:48
*と、いうわけでみなさまお疲れ様でした。わたしもお疲れ様でした。

2012年3月4日日曜日

記憶

実りの季節がくればその髪は陽の光になる。
乾いた草のにおいが鼻孔をくすぐる。
風は強く、踏みしめる土はほんのり熱をもっている。

私はその熱を追いかけている。
陸のただなかで潮騒を聞く。
身体はゆっくり冷めてゆき、夜がくる。
町の灯りは遠く、星の灯りは近く。
宇宙の寒々としたなかで、身体はどこか軽やか。
声はもう聞こえない。
でも、幼いころ聞いた歌は微かに大気を揺らして。

目を閉じれば曖昧な白。
たゆたううちに溶けてしまって輪郭も思い出さずにいる。
土星のわっかとか木星の雲を掬いとって、混じりあってゆく。
戻れないことは知ってるから星は死んでくだけだった。

双子葉ほどうまく呼吸できないからえらを探している。
言葉はまだできてないらしくただ、彼と手を繋いでる。
できそこないな宇宙に閉じこもってリンゴが降ってくるのを待つ。
空は揺れていて、古い歌を運んでる。

気づけば教室の窓は開いてて、カーテンがささやかに膨らんでいる。
窓辺に見ていた子の名前はしらないまま。
幅跳びのマットは夕陽のなかにあって、風を撃つように跳ぶ。
羽持つ動物たちはどこに行くのかな。

スカートの端には昨日がくっついてる。
最後にしゃべった声の高さ。
大気のなかの、歌の痕跡。


tweeted 3/4 1:42-2:36

2012年2月7日火曜日

読む・観る・行く

春休みの予定。随時追加していきます。
追記日時は(+--/--AM--:--)といった感じで。完了したものには取り消し線を入れ(done--/--AM--:--)と書き足してゆきます。
 2/17:本の記録の効率化のため読書メーターを用いることにしました。右欄のブログパーツからとべます。

★読まなきゃリスト
J.R.R.トールキン
『指輪物語』
『シルマリルの物語』
『ホビットの冒険』

ラルフ・イーザウ
『ネシャン・サーガ』
『盗まれた記憶の博物館』
『暁の円卓』
『パーラ』
『ファンタージエン 秘密の図書館』

ミヒャエル・エンデ
『モモ』
『果てしない物語』

ル=グウィン
『ゲド戦記』

ダレン・シャン
『ダレン・シャン』
『デモナータ』

ジョナサン・ストラウド
『バーティミアス』

上橋菜穂子
<守り人シリーズ>

高桜方子
『十一月の扉』

紅玉いづき
『ミミズクと夜の王』
『MAMA』
『雪蟷螂』
『毒吐姫と星の石』
『ガーデン・ロスト』

佐島勤
『魔法科高校の劣等生』
※ケータイ小説サイト「小説家になろう」で活躍してた頃から応援してた作者さん。電撃から立派に本が出てうれしい限り。

村上春樹
『1Q84』

小川洋子
『人質の朗読会』

中田永一
『くちびるに歌を』
乙一さんの別名義と知ったなう。乙一読みたいね。乙一。一番最初に読んだラノベはこの人のだったかな。次が桜庭一樹。乙一さん自身はラノベにいろいろ思うところ(Wikipedia)があるらしい、ね。
(あんましWikiに頼るのもどうかとは思ってるけどことサブカルに関してはそれなりの正確性があるんじゃないか、と思ってます)

万城目学
『偉大なる、しゅららぼん』

梅内幸信
『童話を読み解く―ホフマンの創作童話とグリム兄弟の民俗童話』

マックス・ウェーバー
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

東浩紀
『一般意志2.0』
『動物化するポストモダン』
『存在論的・郵便的』

ロラン・バルト
『エクリチュールの零度』
『表徴の帝国』

寺山修司
『寺山修司全歌集』

穂村弘
『短歌という名の爆弾』
もういちど読み返したい。

<思想地図シリーズ>(+2/8PM17:20)
コンテクチュアズ界隈が熱い。友の会に入会しようかしらんとか検討してみたり。

森博嗣
<スカイ・クロラシリーズ>
単行本の装幀がものすごく素敵だった覚えがあるよ。

その他
アールブリュット、アウトサイダーアートの本も読みたい。児童文学論と演劇と詩集と歌集も少し。笹井宏之さんの歌集が気になる。
※2/7 17:30 アールブリュットに関する面白げな企画、アールブリュットを巡るトークシリーズを見つけたのだけど都内の分は終わっててがっくし。

たぶん読めたらいいなリストになってるね(笑)
読んだことあるのもないのも。
図書館であるものから読む予定。絵本コーナーとかにも侵攻するかも。
そういえば私の高校の図書館には絵本置いてたなあ。他の高校はどうなんだろう。一度も手に取らずじまいでしたけどね…。
作家に付して作品も挙げてますがその作品以外も目につき次第読みます。
学術書は元のは読まずに解説本で済ませちゃうかも…。
上野の国際子ども図書館にもいこうか。ついでにほかの美術館博物館にも行けるし。


★観なきゃリスト(映画)
DVD・ビデオ
『アインシュタインロマン』
武蔵野市立中央図書館にVHSが、柏キャンパスと国会図書館にDVDがあるらしい。
(wikipediaより)「世界的童話作家ミヒャエル・エンデをプレゼンターに迎え、主にアインシュタインの生涯と業績を紹介しつつ進行しながらも、単なるアインシュタインの伝記番組に留まらず、哲学・宗教観から文明論にまで踏み込み、アインシュタインが世界に与えた影響と功罪を考察。」
エンデとアインシュタインの組み合わせって不思議に思います?
でも、科学も宗教も哲学もそして文学も芸術も同じで、この世界を説明してくれるもの、と考えてみれば少しわかるんじゃないかな。
たとえば、未開社会にも自然に対する精緻な分類体系や独自の技術があって…世界の解釈体系が違うだけ、ともいえるのかもしない。それは文化や民族だけの話じゃなくって学問もそうなのでしょう。
「文明」を、「未開」を、どうとらえるかということは一学期の山下先生の文化人類学のおかげでずいぶんと考えが深まったような。でもまだまだ全然浅い。

『ハウルの動く城』
言わずと知れた。原作を先に読んどくと駿の意図が透けて見えて面白いらしいので、D.W.Jonesの原作読んでから。

『西の魔女が死んだ』
少女と老女版の『影との戦い』みたいだってどこかで聞いた気がした。どこだろう…。

上映中
『荒川アンダー ザ ブリッジ THE MOVIE』
@吉祥寺バウスシアター
漫画の読んでない巻も読んどこう。

『第4の革命 - エネルギー・デモクラシー』
公式サイトより。
ドイツを「脱原発」決定へと導いたのが、ドキュメンタリー映画「第4の革命 - エネルギー・デモクラシー」だ。
2010年にはドイツ全土で上映され、異例の13万人を動員。
3.11後にはテレビ放映され、200万人が視聴し、一気にドイツの再生可能へのエネルギーシフトを決断させることとなる。 
@下北沢トリウッド
2/18(土)~2/24(金) 13:00/15:00                 
2/25(土)~3/2(金) 13:00/15:00/18:00                 
*火曜定休



★行かなきゃリスト(演劇・展覧会)
どれも一緒に行ってくれる方募集。観た後はあーだこーだ言ってみるほうが楽しいはずですから一人じゃ行きたくないのですよ。一人でも行っちゃいますけど。

フェルメールからのラブレター展
@渋谷Bunkamura ザ・ミュージアム,~3/14

生誕100年 ジャクソン・ポロック展
@東京国立近代美術館,~5/6
誕生日は無料らしい。キャンパスメンバーの割引もあるのかな?

G-tokyo 2012
@六本木ヒルズ 森アーツセンターギャラリー.2/25~26
現代アートフェア。学生900円は安いってしおたんさん言ってた。

湯布院美術館
@大分県湯布院町,3/31で閉館…。
ちょっと特別な思い出があるので、行かなきゃいけない気がしてます。

劇工舎プリズム2011年度新人公演「ユニコーン恋愛方法論」
@東京大学駒場キャンパス駒場小空間
2012.3.7(wed.) 19:00-
3.8(thu.) 14 / 19:00-
クラスメイトが舞台美術で活躍してます。

劇団綺畸2011年度新人公演「Show on the Run」
2012年3月
29日(木)19:00~
30日(金)14:00~/19:00~

東京工芸大学芸術学部卒業・大学院修了制作展2012(+2/9PM18:20)
2012年2月17日[金] 14:00~20:00
2012年2月18日[土] 10:00~20:00
2012年2月19日[日] 10:00~16:00


★聴かなきゃリスト
school food punishment(+2/8PM17:20)

2012年1月30日月曜日

劇団工『フジサン・窓のない部屋』


もともと文芸が専門なので主にストーリーへの感想です。


※あんまりひどい読み間違えしてる時は指摘してくださいorz
※1/30 21:00 微妙に登場人物の名前を間違ってる可能性に気づいてごまかし…劇団の人に指摘されなかったからたぶん間違ってない…のかもしれませんが。
※1/31 08:00 雪山の話は世にも奇妙な物語以前に都市伝説としてあったらしいですね。早合点に過ぎました…参考サイト。他の方のまとまった感想・批評も読みたい。みんなどう見てどう感じたの?
当日配布のパンフレット

2011.1.29(日)14:00~
昨日、劇団工の旗揚げ公演『フジサン・窓のない部屋』を見にいってまいりました。その批評、というか感想です。
きっととんでもない読み間違えしてるんだろうなあ、とか思いつつそれでも書きます……どうか温かい目で見守ってやってください。

学生会館(諸サークルのクラブハウス)の地階・第三音楽練習室。小さなその部屋が今回の劇場でした。
学生会館運営委員という役職がありまして、かつてそれをやらせてもらおうと思って研修をしたことがあります。研修は一度受けたきり行かなくなってしまったのですが、その唯一の研修で日締め処理として各部屋の施錠を確認するというものがありました。
そのとき以来足を踏み入れるのは二度目。殺風景な防音壁の部屋は『魔改造』されておりました。
富士山型人口ピラミッドを90°に折ったと言えばわかるでしょうか…。ピラミッドの「棒」の端は
________
________\_
_____/_
____________\___
________________/

のようにジグザグと、ランダムな感じで組み合わされていました。
ダークブラウンの木材で作られたそれは部屋の一角の壁を表しています。
その外側には白い布。部屋の外を埋める雪原ですね。
(ほんとは図を手書きしたほうが伝わるのだろうけど…今回は時間がないのでご容赦を)

┏━━□□
┃  □□
┃  □□
□□□\
□□□ \

━…小屋のセット
□…客席
\…(いわゆる)花道。役者の出入り。小屋の外を表したりも。

配置としてはこんな感じでした。客席は30~40くらいだったかな。
客席と舞台が同じ高さで距離も本当に近い。

ちなみにピラミッドの頂点から45°の角度で、一本の木材が水平に伸び、その先に照明(裸電球)がついています。
小屋のセットの中には三つの線の細い椅子が配置されています。


セットの説明はこのくらいにして。本編の感想に入ります。

■フジサン
トンデモ科学雑誌の記者2人(男女)と、トンデモ探検家の男、遭難した仲間を探すトンデモロシア人科学者2人(男女)と雪男になっていた遭難者。以上6人が登場人物。名前はちょっと自信ない…ごめんなさいm(__)m

開演時間。
部屋は暗転し真の闇へ。
(なんか音楽が流れてた気もする)ぼんやり明かりがともると男が謎の…尻を天に突きだしたようなポーズで舞台に転がっている。
2人目の男が登場。超重装備の登山家。あたりを見渡すしぐさで観客席に手持ちのライトをてらし、何かを探している。何かって雪男なんですけど。

こうして科学雑誌記者と探検家が登場。「ピラミッド」に布をかけたかとおもうとオープニングムービーがそれに映写されるんです。

「たかいどたかいどフッジッサーン!」
(下高井戸)

とかムービーに合わせて言ってましたね。(下高井戸)は、たかいどというときに出てた画像(笑)
客席の後ろから「たかいどたかいどフッジッサーン!」という声がわっと響いてきて、客席も含めた「ドタバタ喜劇空間」の形成ですね。
先ほども述べましたが客席と舞台が近い!というか客席と舞台の境界があいまいともいうべきでしょうか。このつくりはなかなかうまくいっていたと思います。

物語は基本的にドタバタ喜劇、といってしまってよいでしょう。
さて、あまりあらすじをだらだら続けるのもあれですので、印象に残ったこと・考えたことを。

吹雪に閉ざされてしまった小屋でロシア人の2人は天候の好転するのを待っています。そこでドアをたたく音がして出てみると誰もいない…(実はかつての仲間「雪男」がいるのですが、雪男に受け継がれる外套が透明マントになってるという設定)。
そのあとで探検家一行も小屋になだれ込んできます。
しかし、なぜここで雪男は外套を脱いで姿を現さなかったのか。劇終幕近くにようやく姿を現すんです。
5人と一緒の空間にいて、非常食の1日分の野菜を勝手に3日で10本消費したり。
なぜロシア人の一人は
「大森ちょふなわけない」
(大森ちょふは遭難して雪男になったロシア人)と言ったのか。すでに死んでると思われてたのでしょうが、実際は雪男となっていた…。
でも、生きていたのなら、再会できたのならすぐに「透明マント」を脱いで姿を現せばよい。
ここで「雪男」という存在への違和感が立ち現れます。
きっと、雪男はもはや生きてはいないのだろう。
雪男に違和感を抱いてから私はそう考えました。

ロシア人2人は「西シベリア」にいるつもりで、探検家一行は「富士山」にいるつもりであったという空間的ねじれを表すシーンがありますがそんな違和も喜劇のうちにドタバタと流される。でも、これって結構重要なシーンなんじゃないかと感じました。のちにまとめて述べます。

さて、物語が進むにつれロシア人の2人も小屋の外へ消えてしまいます。1人(男)が消えるシーンがやけに印象に残ってます。というか残らざるを得なかった。ちょっとシーンの説明しますね。
皆が寝静まった夜、「セクシーダイナマイト」な音楽が流れピンクの照明がてらされ、ロシア人の男がくねくねと踊ります。ほんっとくねくね。
その手にあるのはコンデンスミルク。
くねくねとした踊りを終えるとコンデンスミルクを眠っているトンデモ科学雑誌の小柄な記者(女)のそばにおいて小屋の外へ。そしてもう帰ってきません。
朝になって記者(女)が目をさまし、コンデンスミルクに気づきます。
そして記者(女)はそれを吸い始める。口をつけて、あるいは高くかかげたチューブから垂れるものを口をあけて受け止めて。
それを記者(男)と探検家が見ている。
どう考えてもセクシャルな隠喩ですね。
ロシア人トンデモ科学者の男はただコンデンスミルクをおいていっただけなのか。否。それならあんなシーンをわざわざ入れる意味は無いわけですから。
時系列的混乱はありますが、ロシア人が記者の女に性的行為を行った、記者(男)と探検家はそれに気づきながらどうすることも出来なかった、と考えることができるでしょう。すでに空間的混乱を許容したのだから時間的混乱だっておかしくはない。

物語も終盤。部屋に残っているのは記者2人と探検家、それに雪男。
全員一度に寝ると凍え死んでしまうから1時間ごとに順番に起こし合おうと決める。
これは世にも奇妙な物語「雪山」のオマージュですね。というかこの作品全体も他に関連する伏線がちりばめられているかもしれません。昨日のことなのにずいぶん忘れてて悔しいな…。
世にも奇妙な物語「雪山」の概要はリンク先を見てもらえればわかるでしょうが、奇妙にねじれた話です。

もう一人いる!と気づき雪男のすがたを最初に見ることになるのは探検家なのですが、彼は雪男に「代わりに雪男をやってほしい。モテルよ!」と言われ、嬉々として雪男の透明外套をきて外に飛び出してゆく。雪男は記者2人をつれて下山すると言った雪男が小屋に残った記者2人を揺り起こすシーンで物語は終わる。

終幕までに消えたのはロシア人2人と冒険家。では残りは無事に帰れた?でも、先ほど述べたように雪男は生死が判然としない存在なわけで、彼は2人をどこへつれて帰るというのか。生と死の曖昧な境界線が酷く不安な、恐ろしい結末を予感させます。

本当は、もうみんな死んじゃったのかもしれませんね。あるいは、最初から誰もいなかったのかも…なんていうと身もふたもないですから、世にも奇妙な物語「雪山」を考慮するなら、生きていたのは女の記者ただ一人といったとこでしょうか……。

ドタバタの笑える喜劇としても十分楽しめましたが、時間・空間・生死のねじれのある「喜劇の裏側」も深いものでした。

最後に、パンフレットにあったいくつかの言葉について。

「六者六様、厳寒の山小屋で命を燃やす」という表現がありますが、やはり死を予感させずにはいられない。
「これは、喜劇だ。」と宣言していますが、まさしく喜劇でした。喜劇の薄皮をペりぺりと剥いでゆくって、恐ろしくって面白いこと。
そこにあるのはピエロの涙。




■窓のない部屋

はー書くの疲れてきた。ちょっと短くなってしまうかも。

同じキャストで別の物語です。セットは椅子の配置がちょっと変わるだけ。床に散乱した蒟蒻畑やら一日分の野菜やら博多の塩を片づけて二つ目の劇の始まりです。
大森ちょふ(雪男)が前劇からの床に散らばったままの「博多の塩」をなめるとこなんかでコメディからの連関を微妙につないでます。
舞台は同じく雪に閉ざされた建物で、男女(学生だろう)で旅行に来てるんですね。雪に閉ざされて帰れなくなってることも同じ。

で、仲間のうちの1人日十美がいなくなっている。きっともう帰ってこないような事態がおこったのでしょう。
日十美に思いを寄せる侑大と健太という男の子が登場しますが、日十美の恋人は日十美があたかもそこにいるかのようにふるまい、けがをした彼女をいたわる。劇のしょっぱなからその奇妙で不気味なシーンが続きます。
友人らはぎこちなくも日十美の彼に接しつつ…彼だけがあまりに自然すぎるほどに日十美と「接している」。

日十美が見えているのは湊一・侑大と健太の三人。半分と半分。狂気ってのは皆と違うことをいうのなら、はたしてどのくらいのマイノリティなら狂気と言えるのでしょう。狂気がマジョリティとなった時、それは。いや、もはや、過半数なのか、ヒトミを見えている側に数えるとするならば。

見えている側と見えていない側、微妙なすれ違いと違和感。見えていない側は侑大たちが日十美を失ったことを受け入れきれず空想のもとにあると思っていて、なるべく傷つけたくはないわけです。でも、彼らに合わせるのにも限界がある。

登場人物の一人、恵梨が日十美と「いちゃつく」彼にたいし「いい加減にしてよっ!」と悲痛に叫ぶ。
でも日十美の彼は「頭を冷やせ」という。彼はあくまでも冷静なのです。彼にとっては日十美がそこにいて、日十美をいたわるのは当然で。

見えている。

狂ってるのはどっちなのだろう?

ふと、ある逸話を思い出しました。
ドイツの収容所で捕虜となったフランス兵たちの話。
彼らは一人の少女を思い描き、あたかも彼女が存在するかのようにふるまう。その想像上の少女の存在でフランス兵たちは生きる希望を保てた。
こちらに詳しく掲載されていました。原典はロマン・ゲイリの「天国の根っこ」なのでしょうね。2chのコピペにもなってます。多少肉づけされているのかもしれませんが。
場所は収容所と雪の密室で違えど、いつ抜け出せるかわからない状態には違いない。もしかしたらこの話をモチーフにしたのかもしれません。

日十美が見えるのは三人なのですが三者三様にヒトミのいた場所は・彼女の思いは食い違っていた。なぜなのだろうか。
彼らは自らの望む(それは意識的であろうとなかろうと)日十美をそのヒトミに移していたのかもしれない。あるいは、かれらの瞳の中にしかヒトミはいないのかもしれない。ヒトミという名前にはそんないみが込められてるんじゃないかな、とも思う。

さて、物語の終盤、恵梨が日十美の彼のことを好きだったとばれ、そして彼にふられた。
そして、恵梨も日十美が見えるようになった。ここで幕。
いや、見えない状態を抜け出せた、というべきなのか?
恵梨はもうきっとすり減ることに疲れて、見えることを望んだのだ。それは消極的な希望なのだけど。


どちらもきっと認識の、あるいは見ているものの物語…かな。
そうじゃないと二作並べる意味がないんじゃないかな、と思ってしまう。
アンケートにも、「見えましたか?見えませんでしたか?」「見えませんでしたか?見えましたか?」という質問を並べている。この構造は明らかに意識されているのではないか。

フジサンで外に消えてゆくことと、窓のない部屋でヒトミが見えていることが同義なんだろうな。
でも、雪山に消えることは暗闇で、狂ってしまえるのは救いだ。

そんな喜劇と悲劇。



いろいろぐちゃくちゃと考えたけど、言いたいことは「すてきな作品でした」だけなのかもしれません。
もうちょっといろんな演劇見てればいろいろ注文すべき点も見えてくるのだろうけど、なにせこれで二作目。感想ちゃんとかくのは初めて。拙な過ぎる文ですが、第一歩としてここに残します。
コンデンスミルクのくだりに一番行数割いているあたりは…なぜかそうなってしまったのですよ。ええ。
ともかく劇団工のみなさん、とっても面白かったです。


1/30 21:00 追記
この劇を見てない・演劇見たことない人も読めるようライトに書いたつもりですがなかなか魅力を伝えるのって難しいですね…。
しかしお芝居って一回性の芸術でしかも情報量がめちゃくちゃ多くて大変……まず私は登場人物の名前を覚える努力から始めます←