2012年3月31日土曜日

【短歌小考】短歌多極主義・コミュニケーション文芸

2012年3月29日のツイートより。


@某女性 ある程度歌詠みとして量を作っていくなら技術や学びが必要だと思う…。でも感情の文学というのは同意で、どんな人にだって生涯で一つはすごい歌を作れるんじゃないかなって。
posted at 01:51:52

私にとって写真や短歌の技術を上げる、というのは「歩留まりを上げる」「失敗率を下げる」ということで、それで決して成功率が上がるわけじゃない。傑作を詠む・撮るためのことはまだ私には言語化できない。したくないのかもしれない。
posted at 01:59:20

でも、楽しめなくなったらお仕舞いですから。あまり考え込まないほうがいいですよ。
posted at 02:01:15

別に各句の間全部にスペース入れてても、「それは短歌じゃない」と私の評価基準がそう評価しても、かんたん短歌でも口語でも文語でも、ただそれを作ることがあなたの(潜在的でも、顕在的でも)目的にかなっていればいいと思う。 #深夜短歌部
posted at 02:11:58

評価されるかどうかなんて関係ない。評価されたいならそれなりの戦略をたてることだし、友達に読んでいいなって思ってもらいたいならかれらに寄り添う言葉で書けばいい。つまらないのは消えてゆくだろうけど、それでいいじゃないですか。その時のあなたには確かに詠むことに意味があった #深夜短歌部
posted at 02:14:18

短歌史を意識し、歌壇を意識するそれ。コミュニケーション文芸の在り方としてのそれ…在り方はいろいろあるし、一人の人間のなかにも複数の在り方がふくまれていると思う。どの在り方も否定したくないし、することは間違っている…と今のところ思う。 #深夜短歌部
posted at 02:19:02

短歌は安いことばで腐る程度のものではないし、お高くまとまった壇に閉じこもってほしいとも思わない。みんな勝手にすればいい、と言ってるように聞こえるかもしれないけどそうじゃなくて、それぞれの場は尊重すべきだし、それぞれの場・その間の交流が閉じるべきではとも思うのです。 #深夜短歌部
posted at 02:21:17

何にもいってないみたい。くそだね。具体的なことも全然いえてないし、机上の空論だ。
posted at 02:22:15

短歌と、コミュニケーションとしての短歌は確実に別のものだよね…と感じていて、その二つはまったく背景が違うから批判してもまったく意味がないんじゃないかとも思える。批評者ある場と批評者なき場の違いなのかな。 #深夜短歌部
posted at 02:25:30

語りお仕舞い。相対主義じゃなく多極主義です。よろしく。「作りたいものつくれよばーか。」なんだけど、作りたいもの作るって評価されたいから評価者を意識して作るとかも含まれてるから、よろしく。
posted at 02:29:01

@とある女性 この語り自体もぐるぐるしてるんだけど、たぶん答えなんてないし答えなんて決めちゃいけないからそうなるんだと思う。初心者の言うことだからあまり真に受けないでねっ!←
posted at 02:32:00

(いままでの主張を総合すると、うたつかいはひとつの理想形だよねってことかもしれません。うたらばについては選がきびしいけど、短歌を知らない人に高クオリティで、写真とともに見やすい形で示せるからすてき)(ほかは、よく知らないのでホーコメントで)
posted at 02:53:07

多極主義だ、と言っておきながら結局そのどれかの極に属してるので、理想主義的現実主義といえるかもしれない。
posted at 04:58:52

いや、分析者と実作者としてのわたしが分離してるだけか。
posted at 05:01:17

ツイート以上。


以下補足。

企画をすることの意義について。
Twitter上での短歌というのは質を高め合ったり切磋琢磨し合うというよりコミュニケーションとしての一面が強いと思っています。悪く言えば批評なき馴れ合いの場ですが、楽しんで交流する手段がたまたま短歌なだけ、彼らが楽しめているならいい、と私は多極主義の立場から思うのです。(私の価値判断基準に照らして)上手い人も参加し、下手な人も参加して、なにかゆるやかな一体感のようなものを生めるというのはすばらしいことだと思うのです。だから、企画には絶対に価値があると言いたい。 ※もちろん、切磋琢磨するための歌会等の企画もあります。

短歌の世界を俯瞰する私と実際に短歌を作り評価する私はまったく別のものです。
私にとっていいと思える短歌、悪いと思える短歌は確実にあって、前者は上手く規定できないのだけど後者は、たとえば短詩として洗練されてなかったり、各句ごとにスペースが空けられるといった基本的な知識の欠如にいらいらしたり、ただ自分の言いたいことばかりが前面にでて短歌にしようという姿勢が感じられない…といったことです。

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